2058 | 役割 | はくぶん | 2009-10-05 03:39:04 |
日本人は他人を役割として見るが、人間としては見ていない。 2057を書いていて、そういう内容を思い出した。 例えば、プロ野球のクローザー。 守護神などという異名自体が、もう人間として見ていない証拠。 出て来れば必ず抑えるものと皆が確信している。 なぜそこまで確信できるのかが不思議で仕方ない。 そして、もしそこで抑えられなければ非難の嵐。 人間である以上、調子の波は必ずある。 絶好調の時もあれば、絶不調の時もあるだろう。 今日は出て来ても抑えられないかもしれない。 どうしてそう思うことがないのかと不思議に思う。 それは何もビジネスに限ったことではなく、 プライベートでも同じような意識は存在している。 自分にとって何かの役割を果たす人間。 自分自身の事なら、上手く出来ない時もあるよ、 などと簡単に言い訳する割には、他人にはその言い訳を認めない。 自分は人間でも、相手は人間ではないと思っている。 そんなことは思っていないと言ったところで、実際の言動がそれを表している。 相手を人間として見るということは、 何の役割がなくても相手を尊重できるということだろう。 役割を上手く果たせない時があっても非難したりしないということだろう。 役割という眼鏡を外した時、日本人には相手がどう見えるのだろうか。 |
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