2230 | 評価 | はくぶん | 2009-11-14 05:47:00 |
小さなものを必要以上に過大評価して、 本当に大きなものはほとんど評価しないということが珍しくない。 多くの場合、その大きなものが見えないわけではなく、 ただ評価したくないということだろう。 プライドの傷付かない小さなものなら、いくら評価しても気にならない。 そうすることによって、大きなものを矮小化しようとする企みがある。 そこにはそういった卑屈な精神が見える。 軽視するかぎり憎悪することはない。 憎悪するのは、平等あるいは優越を認めた相手に限る。 と言ったニーチェも卑屈な精神の持ち主だったのかもしれない。 しかし、彼はこうも言う。 学者や芸術家との交際においては、評価を反対に誤ることがよくある。 注目すべき学者の背後に凡庸な人間を、 また、凡庸な芸術家の背後にしばしば極めて注目すべき人間を見ることが希ではない。 たとえ卑屈な精神がなくても、何かに捕われた目で見ると、 大小の判断を誤ることが多いということだろう。 そして、彼はこうも言う。 我々に関する他人の悪評は、しばしば本当は我々に当てられているのではなく、 まったく別の理由から出る腹立ちや不機嫌の表明なのである。 彼はまるでどこかの会社について語っているかのようだ。 人はよく他人の評価を気にするが、評価の多くは所詮この程度のものでしかない。 そういうことだろう。 |
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