2758 泣いて馬謖を斬る はくぶん 2010-03-21 07:14:44
“泣いて馬謖を斬る”は三国志の有名な故事成語。

蜀(蜀漢)の武将・馬謖が、街亭の戦いで諸葛亮の指示に背いて敗戦を招いた。この責任をとり馬謖は処刑されることになるが、馬謖は諸葛亮の愛弟子であり、他の武将の一部からも「馬謖ほどの有能な将を」と慰留の声があがった。しかし諸葛亮は「軍律の遵守が最優先」と涙を流しながらも処刑に踏み切った。

これが一般に使われる“泣いて馬謖を斬る”の意味だが、
この記述はどうやら三国志の『正史』のものらしい。

しかし、三国志にはもう一つ有名な著書がある。
『三国志演義』は、日本では正史より有名かもしれない。

演義の方に書かれている内容は正史とは違い、
次のような人間臭いものであるらしい。

何故泣くのかを蒋エンに訊かれた諸葛亮は「馬謖のために泣いたのではない」と答えている。諸葛亮は劉備に「馬謖を重く用いてはならない」という言葉を残されていたにも関わらず、その言葉を守らなかった自分の不明を嘆き、泣いたとされている。

馬謖は本当に孔明の愛弟子だったのだろうかと、疑いを抱かせるような記述である。
もし本当に愛弟子だったとしたら、孔明は実はナルシスティックな人間であり、
だからこそ馬謖の本質を見抜けなかったのではないかと思われる。
また、馬謖の何を気に入ったのかは知らないが、
少なくとも師弟関係に於ける信頼関係など、
始めから存在しなかったのではないかとも思われる。
そう考えれば、馬謖を処刑できたのも不思議ではない。
自分の面子を潰されたことに対する怒りの報復。
孔明でなくても、世間にはよくある話だ。

正史では、あまりに美談すぎるこのエピソードも、
演義の記述で考えれば、ありふれた人間関係の終焉だったと言える。
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