4471 | 最近の言葉 | はくぶん | 2013-08-15 21:54:02 |
可能の助動詞「れる・られる」の使い方には、昔から議論が多かった。 今では当り前に使われている「来れる」も、 当時、久米宏があるテレビ番組で、文法的には間違いである、 と言っていたのを思い出す。 今でも文法的には間違いなんだろうか? 「見れる」とか「食べれる」とか、 今でも自分にはちょっと違和感のある使われ方がされている中で、 「行けれる」とか「聞けれる」とかいう言い回しを聞くと、 もう昔とか今とかを論ずる前に、 日本語をちゃんと一から勉強し直せよ、と言いたくなる。 そう言えば、「こんばんわ」とか「それわ」とか、 なぜか「わ」を平気で使っている人間を見かけるが、わざとなのか? わざとなら、なぜ「は」じゃなくて「わ」と、発音通りに書くのかを知りたい。 なぜなら、そういう人間も「そこへ」は「そこえ」とは書かないからだ。 「を」はどうだったっけ? 単に教養が無いだけなら仕方ないけどな。 大人でありながら幼稚な言葉を使う人間が増えてきているような気がする。 人間は大きな恐怖を体験すると幼児帰りする習性があるらしい。 守ってもらいたいと思う気持ちが、無意識にそうさせるのだろうか。 日常で大きな恐怖を体験することなどないだろうが、 自分に対する自信の無さが、 防衛本能として幼稚な言葉を発せさせているのかもしれない。 相手から嫌われないように、敵視されないように。 そして、自分が何者であるのかわからなくなってしまう。 |
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