6139 | ツイッター | はくぶん | 2014-08-30 01:51:09 |
十二使徒はイエス・キリストを、どこまで神だと思っていたのだろうか。 常に生活を共にしていた弟子達。 イエス・キリストにも当然性格はあっただろうし、弟子の中にも合う合わないはあったに違いない。 ペテロがイエス・キリストにイライラすることはなかったのだろうか。 ヨハネがイエス・キリストに不潔を感じる場面はなかったのだろうか。 ユダがイエス・キリストにけち臭さを感じることはなかったのだろうか。 共に生活していれば、何らかのマイナス面は見えるはず。 完璧な性格などない。 いや、感じ方や評価は人それぞれである。 昔は思っていても、発言しなかったのかもしれない。 そして、大きな発言でなければ、書物にも記されることはない。 しかし、現在ではちょっとした呟きが、瞬く間にツイッターで全世界に流れる。 イエス・キリストの時代にツイッターがあれば、十二使徒は何を呟いたのだろうか。 もしかしたら、キリスト教は今日存在していなかったかもしれない。 偉人と呼ばれる人間には、いつもそんな事を考える。 |
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