7363 | 好きな事 | はくぶん | 2018-04-08 15:10:26 |
好きな事をする時に、上手く出来るかな、と考える人間がいる。 そういう人間は、結局好きな事が出来ないまま終わってしまう。 上手く出来るかどうかなど、先ずは考えなくていい。 上手く出来たかどうかは結果論である。 それが好きな事であるか。 そして、それをしたのか。 先ず大事なのは、この二つである。 フランクリン・ジョーンズというアメリカの作家に次のような言葉ある。 隣でやっているパーティーの乱痴気騒ぎに耐えようと思うのなら、そこに参加する以上にいい手はない。 しかし、実際に参加する者など殆どいないだろう。 ブツブツ文句を言いながらパーティが終わるのをひたすら待つとか、テレビの音量を上げたり、ヘッドフォンをしたりして隣の騒音が聞こえないようにするとか、実際の行動としてはそれくらいのものだろう。 大家に苦情を言いに行ったり、直接隣の部屋に怒鳴り込んで行く者が、果たしてどれくらいいるだろうか。 しかし、それらはどれもあまりいい手ではないようだ。 なぜなら、それらは耐える方法だからである。 避ける方法だからである。 止める方法だからである。 決して楽しむ方法ではないからである。 参加するために隣室に入って行ったら、隣室の人間たちが受け入れてくれずに、摘み出されてしまうかもしれない。 もしかしたら、それで場が白けて、パーティが終わってしまうかもしれない。 しかし、それならそれでいいではないか。 耐えもせず、避けもせず、止めもせず、楽しむ方法を選んだのだから。 そして、それで意図せず、当初の目的は達成されたのだから。 参加出来ていれば、一晩中楽しかったかもしれない。 いずれにせよ、自分にとって負の要因は、何もなかったということになる。 |
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