7781 | 関西人の付き合い感 | はくぶん | 2021-07-15 00:22:23 |
昔から思っていることである。 関西人の付き合いというのは、息苦しいか、疎遠か、なぜそのどちらかしかないのだろうか。 適度な距離と間隔を空けて付き合うことが出来ないような気がする。 必死に寄り集まっていないと、直ぐに崩れたり、消えたりしてしまうような、そんな薄っぺらい関係だと、本人同士が知っているからだろうか。 関西人は友人のことを「つれ」という。 特に意味を考えるわけでもなく「つれ」と呼んでいる。 しかし、これが友人に対する関西人の意識を最もよく表している言葉であるように思う。 「つれ」という言い方は、連れているという言葉に由来する。 「つれ」は、要するに連れている人間たちなのである。 一緒に行ったり、一緒に居たりする人間たちなのである。 その現象を言い表している言葉に過ぎないのである。 逆に言えば、その相手との関係性や意志の疎通がどうであるか、ということには触れていない言葉であるとも言える。 単に一緒であれば、それで成立するという、まるで子供じみた意識であることが分かる。 極端に言えば、「つれ」とは、相手の気持ちなど分からなくても、連れている人間たちなのである。 つまり、どんな相手と付き合うかより、寄り集まっていることが大事であり、息苦しいほど接していることが大事なのである。 今日は1年3ヶ月振りに楽しんだ。 |
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