7813 | 拘りとは単なる思い込み | はくぶん | 2021-09-17 01:40:55 |
何か製品を買うとき、昔は確かなメーカーの信頼ある機種を買うことを目指していた。 メーカーが溢れ、ラインナップが溢れ、情報が溢れ、市場は豊富を通り越して、もはや煩雑になった。 そんな市場に於いて、価格的に性能的に、自分が欲しいベストな製品を選択するなど、もはや不可能と言うしかない。 口コミという欄があり、利用者が各々の感想を書いている。 そして、どんな製品に関しても、必ずプラスの口コミとマイナスの口コミがある。 メーカーの人間が、いわゆるステマとして、プラスの口コミを書いている場合もある。 製品、特に電気製品には、必ず当たり外れがある。 メーカー的な当たり外れ、機種的な当たり外れ、そして、筐体的な当たり外れである。 確かなメーカーの信頼ある機種を買っても、自分の筐体だけ初期不良なんてことは珍しくない。 一度買ったら、その製品を一生使おうと思うから、そこまで神経質になるのだと。 他の製品なら在庫があり、直ぐに買えるのに、その製品に拘るから、何ヶ月も待たなければならないのだと。 家や会社など、一生に一度あるかないかの大きな買い物をしようとしているのではないのだと。 基本的性能と価格さえ合えば、拘りの機種ではなく、その時、すんなり手に入る物を買うことにした。 何もそれを一生使うわけではないし、一生に一度しか買えない値段でもない。 だったら、それがその時点に於いて、ベストな選択なのだと考えることにした。 後一週間待てば、拘りの機種が買えたのに、という場合も確かにあった。 たまたまその時だけ、特別な事情で、製品が品切れしていた、という場合も確かにあった。 しかし、欲しい、必要だと思ったのは、一週間後ではなく、その時だったのである。 拘りの機種を買って、いつも満足だったというわけでもない。 使っている内に、他の機種を買っても同じだったんじゃないか、と思える時も少なくない。 買う時に拘っていた部分は、買った後でどうでもよくなる、ということも少なくない。 もう何年もエアコンの購入を考えている。 買うならダイキンの12畳用と決めている。 しかし、なぜダイキンで、なぜ12畳用と決めたのか、はっきりとした理由は自分でも分からない。 ますます大阪が嫌いになって来た。 |
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