7901 | 飴を舐め、物を置く | はくぶん | 2022-03-12 00:02:13 |
若い頃、飴は口の中で小さくなるまで舐めて溶かした。 今、舐めている途中で噛み砕いてしまう。 時には、口に入れ、少し舐めただけで、噛み砕いてしまうこともある。 もう最後まで舐めて溶かすことが出来なくなってしまった。 若い頃、物を置くときは、静かに置いた。 テーブルの上に、微妙に放り投げて置いている人を見ると、乱暴に見えた。 今、殆どの場合、その微妙に放り投げるようにして置いている。 逆に、静かに置くことが、堅苦しくて、じれったくて、出来なくなってしまった。 若い頃には無かった不満が、怒りが、不安が、ストレスが、知らない内に溜まっているのだろうか。 自分では、その自覚は無い。 しかし、昔、違和感を覚えた他人の行動を、今、自分自身が、無意識に、衝動的に、取ってしまっている。 あの頃、あの人たちも、無自覚に心に何かを抱え、それを解消するために、無意識にやっていたのだと気付く。 あの人たちは、行儀が悪かったわけでもなく、性格が粗野だったわけでもないということに気付く。 心の中の抑圧を、ほんの少し解消するために、飴を噛み砕き、物を微妙に放り投げていた。 それをしたところで、根本的に抑圧が解消されるわけではないため、その行動は毎日続く。 その様子を見て、その人の躾や人格に由来するものであると誤解する。 飴を最後まで舐め溶かす我慢や、物を静かにテーブルに置く我慢。 その行動は、今の自分にとっては、我慢なのである。 振り上げた足を、いつまでも地面に下ろせないような我慢なのである。 まるでヒンズースクワットのように、時間をかけ、筋力を使いながら椅子に座るような我慢なのである。 若い頃、それらは自然で当たり前の行動だった。 我慢であるとは微塵も感じていなかった。 しかし、今は感じる。 年を取ったから感じ始めたのではない。 心に抑圧を抱えているから、そんな自然な行動も我慢と感じるようになったのだろう。 飴を最後まで舐め溶かし、物を静かにテーブルに置いていた日。 それを自然な当たり前の行動と感じていた心。 そんな状態が、もう一度、自分に戻って来るだろうか。 いつになったらセルフ・ロックダウンを解除しようか。 |
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