7926 | ふと思い付いた五つの事 | はくぶん | 2022-05-01 02:07:34 |
マスコミは国民の恐怖心を過度に煽って、視聴率を稼いでいる。 そう批判する者たちの多くも、視聴者の恐怖心を煽って視聴率を稼いでいる。 結局、欲望か恐怖のどちらかを煽る以外に、関心をこちらに向けさせる方法はない。 それはマスコミであれ個人であれ、原理は同じなのである。 極論は、片側が鉄壁なら、もう片側はごっそり抜け落ちている。 両側を鉄壁に成り立たせるような極論は存在しない。 世の中はシーソーのようなものであり、常にトレードオフの関係で成り立っている。 極論とは、そのどちらか一方に極端な力を掛ける行為である。 自分で読んだ文章なら、聞いていた誰よりも内容を理解しているはずだ、という誤解と錯覚が無くならない。 人前で文章を読んだことがないか、読んだ時のことをすっかり忘れているのだろう。 文章は、読んでいる者より、その朗読を聞いている者の方が、遥かに内容を理解する。 読んでいる者は、文章を間違えずに読むのに必死であり、内容を理解する余裕はない。 願えば叶うという理屈は、風が吹けば桶屋が儲かるという理屈に似ている。 正確に言うなら、願えば叶うこともあるという理屈である。 願うことと叶うことは一直線で繋がっているわけではなく、その間には、いくつかのプロセスが存在する。 そして、それらのプロセスが全て上手く繋がった時に、願った事が叶うという、ごくありふれた事柄を言葉足らずに言っているだけのことである。 何にも束縛されず、時間が自由に使える人生が最高の人生であると思っている人が多い。 しかし、大抵の人が思い描いている事など、1ヶ月もあれば殆ど終わってしまうということを知らない。 その日何もやる事が決まっていない毎日が、どれだけ辛く苦しい人生であるかを知らない人が多い。 たとえ人が決めた事であっても、今日やるべき事があるということが、どれだけ幸せな人生であるかを知らない人が多い。 May Dayをカタカナで書く時、なぜメイデーやメイデイではなく、メーデーと書いたのだろうか。 |
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