7814 |
オンライン授業 |
はくぶん |
2021-09-19 02:07:27 |
コロナ禍で導入が進められている学校のオンライン授業。
当然、生徒が各家庭からSKYPEやZOOMなどを利用して、遠隔で授業を受けているものとばかり思っていた。
日本中の小中学校が、全てこの方式で授業をやって、SKYPEやZOOMのサーバがよく落ちないものだと不思議にも思っていた。
しかし、実態はそうではなかった。
小学校で行われているオンライン授業。
それは教室で黒板の前に立ち、普通に授業を進める先生。
それを教室内の自分の席で聞く生徒。
通常授業との違いは、各生徒の机の上にノートPCが置かれているという点だけである。
オンライン授業を謳いながら、生徒は普通に登校し、教室に集合し、席に着いて授業を受けるのである。
教科書やノートが、ノートPCに変わったら、コロナ感染を抑制できるのだろうか。
何のためにオンライン授業を行うのか、本来の目的を全く理解していない文部科学省のボンクラ政策である。
なぜ学校や教育委員会、PTAからクレームが出ないのか。
本来の目的を理解せず、まるで効果の出ない事をやっていても何の疑問も生じない。
そういう愚かな国民性の為せる業か。
自民党総裁選報道に踊らされて、次の衆院選で愚かにも自民党に投票などしようものなら、この冬、間違いなく自宅放置で殺されることになるぞ。
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7813 |
拘りとは単なる思い込み |
はくぶん |
2021-09-17 01:40:55 |
何か製品を買うとき、昔は確かなメーカーの信頼ある機種を買うことを目指していた。
メーカーが溢れ、ラインナップが溢れ、情報が溢れ、市場は豊富を通り越して、もはや煩雑になった。
そんな市場に於いて、価格的に性能的に、自分が欲しいベストな製品を選択するなど、もはや不可能と言うしかない。
口コミという欄があり、利用者が各々の感想を書いている。
そして、どんな製品に関しても、必ずプラスの口コミとマイナスの口コミがある。
メーカーの人間が、いわゆるステマとして、プラスの口コミを書いている場合もある。
製品、特に電気製品には、必ず当たり外れがある。
メーカー的な当たり外れ、機種的な当たり外れ、そして、筐体的な当たり外れである。
確かなメーカーの信頼ある機種を買っても、自分の筐体だけ初期不良なんてことは珍しくない。
一度買ったら、その製品を一生使おうと思うから、そこまで神経質になるのだと。
他の製品なら在庫があり、直ぐに買えるのに、その製品に拘るから、何ヶ月も待たなければならないのだと。
家や会社など、一生に一度あるかないかの大きな買い物をしようとしているのではないのだと。
基本的性能と価格さえ合えば、拘りの機種ではなく、その時、すんなり手に入る物を買うことにした。
何もそれを一生使うわけではないし、一生に一度しか買えない値段でもない。
だったら、それがその時点に於いて、ベストな選択なのだと考えることにした。
後一週間待てば、拘りの機種が買えたのに、という場合も確かにあった。
たまたまその時だけ、特別な事情で、製品が品切れしていた、という場合も確かにあった。
しかし、欲しい、必要だと思ったのは、一週間後ではなく、その時だったのである。
拘りの機種を買って、いつも満足だったというわけでもない。
使っている内に、他の機種を買っても同じだったんじゃないか、と思える時も少なくない。
買う時に拘っていた部分は、買った後でどうでもよくなる、ということも少なくない。
もう何年もエアコンの購入を考えている。
買うならダイキンの12畳用と決めている。
しかし、なぜダイキンで、なぜ12畳用と決めたのか、はっきりとした理由は自分でも分からない。
ますます大阪が嫌いになって来た。
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7812 |
日本の政治家どもへ |
はくぶん |
2021-09-15 00:11:46 |
菅義偉をはじめ、現在の閣僚どもが、日本以外の国で、あの答弁、あの政策を行ったらどうなるのだろうか。
日本だから通用する低レベル。
日本国民だから許されている無能愚策。
海外では暴動が起きるほど酷い政府である。
一度、海外へ研修に行った方がいいんじゃないか。
いや、むしろ海外で政府としてやってみたらいいんじゃないか。
スポーツ選手が、海外のチームでプレーするように。
日本代表チームが、海外で試合をするように。
日本でやっていた政策が、いかに子供騙しで、外国では通用しないかが分かるだろう。
日本の政治家も海外研修をすべきである。
本当の民主主義政治を体感すべきである。
生きて帰って来れるかどうかは別として。
台風の影響で、何日間かは雨の日が続きそうだが、土曜日に降ることは許さんぞ。
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7811 |
努力と才能 |
はくぶん |
2021-09-13 01:33:28 |
日本人は努力は好きだが、才能は嫌いである。
しかし、自分がする時は、才能は好きだが、努力は嫌いである。
結果が全ての世界では、努力だろうと才能だろうと、結果を出せなければ意味が無い。
努力で結果を出した者は賞賛されるが、才能で出した者は陰口を叩かれる。
才能で結果を出した者を、潔く認めることが出来ない。
才能のある人間は、努力をしていないのだろうか。
見かけ上は努力はしていないかもしれない。
しかし、そういう者たちは、日々努力をしているのである。
本人が努力と感じない努力をしているのである。
子供がゲームをしている時、それを努力とは言わない。
ゲームは結果を生み出さないからである。
しかし、仕事をゲームだと感じている人間は、仕事を遊んでいるのである。
そして、本人は遊んでいるつもりでも、それが努力になっているのである。
才能のある人間は、恐らく親からその才能を受け継いだのだろう。
しかし、それは何もしなくても得た才能ではない。
毎日、知らず知らずの内に努力を重ねて得た才能なのである。
知らず知らずの内に努力する方法。
それが才能のある親から受け継いだ才能なのである。
才能とは、努力をせずに得られたものではない。
才能とは、努力の仕方が分かっていることである。
台風14号よ、俺の邪魔をするなよ。
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7810 |
空気感染 |
はくぶん |
2021-09-11 00:48:22 |
新型コロナウイルスはエアロゾルという形で空気感染する。
日本人は、その事実を言葉では知っているが、その恐ろしさを実感として分かっていない。
濃厚接触者という定義があるが、空気感染にそういう定義は成り立たない。
換気の良くない場所では、エアロゾルは、3時間浮遊し、20メートル以上移動する。
つまり20メートル離れていても、感染する危険性があるということである。
一般に、密閉された空間で感染者と15分以上一緒に居ると感染すると言われている。
しかし、一方で、マスクをした者同士が、すれ違っただけで感染したという報告もある。
換気の無いエレベータに乗っていた感染者が降りた後、別の階で、そのエレベータに乗り込んだ者が感染したという報告もある。
空気感染は、その実態を把握することが難しい。
国立感染症研究所が、世界中で周知されている新型コロナウイルスの空気感染を、今も認めたがらないのは、疫学調査が不可能だからである。
感染経路や濃厚接触者、クラスターといった疫学調査は、接触感染や飛沫感染など、感染範囲の限定された場合にのみ成り立つ。
空気感染となれば、感染範囲は広域となり、それらを追跡調査することが不可能なのである。
疫学調査が不可能となれば、国立感染症研究所へのコロナ関係予算は確実に減る。
それを避けようとしているだけなのである。
新型コロナウイルスに関しては、まさに役に立たない存在なのである。
どうすれば感染を防げるか、その方法を確立することは難しい。
しかし、一つだけ誰にでも分かる例がある。
どう対応すればいいか、各人で考えるには最適な例が。
新型コロナウイルスのエアロゾルは、タバコの煙のようなものだ。
この煙を吸わないようにするには、どうすればいいか。
方法は二つしかない。
一つは、家に引きこもって、誰にも会わないこと。
もう一つは、換気の良い場所以外には行かないこと。
それ以外に、感染を防ぐ方法は無いということである。
大阪府の新規感染者が減少に転じてから、救急車の走る回数が一気に減った。
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7809 |
政治家であること自体がおこがましい者たち |
はくぶん |
2021-09-09 00:09:40 |
菅義偉に総理大臣ができるなら、日本人の誰にでもできる。
権力闘争は超一流という評価も聞くが、総理大臣は権力闘争屋ではない。
権力闘争の悪知恵があっても、政策作成・遂行能力がなければ総理大臣はできない。
人を使いこなし、諸外国と上手く付き合っていく能力がなければ総理大臣は務まらない。
菅義偉は、所詮権力闘争屋であって、総理大臣の器ではない。
小池百合子に都知事ができるなら、日本人の誰にでもできる。
フリップをかざしての演説パフォーマンスが得意な、単なるパフォーマンス屋に過ぎない。
都民にお願いはするが、何も政策は打ち出せない。
人にやらせるだけで、自分は何もしない。
よくこんな馬鹿者を、都民は首長に選んだものだと呆れるばかりである。
菅義偉と小池百合子。
外国から見たら、政治家であること自体がおかしいまがい者たちである。
自民党総裁選一色の日本だが、コロナが収束したわけではないということを、自民党議員が最も分かっていない。
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7808 |
自宅療養という名の殺人 |
はくぶん |
2021-09-07 00:56:02 |
日本全国に数多ある国立病院機構、労災病院、そして尾身茂が理事長を務める独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO)。
これらの病院は、国から膨大な補助金を受けている。
それは公的病院として、公衆衛生上の緊急事態に、率先して対応するためである。
新型コロナウイルスの感染爆発。
まさにそういう時のために、補助金という優遇措置を受けているのである。
しかし、新型コロナウイルスに感染し、自宅放置者が溢れ返っていた8月の段階で、コロナ患者の受け入れは、全体の数パーセントに過ぎなかった。
民間病院に対しては強権的な受け入れ要請が為されても、これらの病院には全くされていない。
こういう非常時に、率先して対応しなければならないはずの病院であるにも関わらず。
まったくもって無用の長物、単なる金食い虫である。
特に分科会の会長でもある尾身茂が、自己の機関に受け入れをさせないなど、もっての外である。
厚生労働大臣は、公衆衛生上の危機と判断した場合、これら病院に対して病床の提供を命令できる。
そして、これら病院は、特段の理由がない限り、その命令を受け入れなければならない。
つまり、現状に於いて、現行法の下、これら全ての病院を、コロナ専用病院に転換させることが出来るのである。
しかし、厚生労働大臣であった田村憲久は、これら病院に対して一度もその命令を出していない。
医療が崩壊し、コロナ受け入れ病床に空きがなく、自宅に放置され、死亡する者が続出している状況であったというのにだ。
コロナ対策の最高責任者であった尾身茂も、そういう状況を熟知しているにも関わらず、敢えて病床を提供しようとはしなかった。
感染者が自宅に放置されれば、重症化し、死に至る危険性があることくらい、田村憲久も尾身茂も十分に分かっていただろう。
そういう状況下にあっても、これら公的病院に対して病床提供を命令しないということは、職務放棄では済まない重大な責任である。
人命を救う方法があるにも関わらず、それを敢えて行使せず、放置してはいけない者を故意に放置し、その結果、死に至らしめた。
これは単なる政府の無為無策ではない。
未必の故意に基づく無差別大量殺人である。
田村憲久と尾身茂に、殺人罪もしくは過失致死傷罪を問うべきである。
この二人だけではなく、総理大臣であった菅義偉にも同罪を問うべきである。
こいつらは、本来死ななくていい国民を、どれだけ殺して来たのか。
田村憲久、尾身茂、菅義偉には、己が犯した重大な罪を、身をもって償わせる必要がある。
田村憲久、尾身茂、菅義偉を、死刑に処するべきである。
絞首刑ではなく、断頭台に連れて行くべきである。
この愚か者たちのせいで、自宅放置となった者が、どれだけの苦痛と絶望の中で死んでいったか。
それを己の身に教えてやるために、公衆の面前で首を跳ねるべきである。
こいつらを見せしめにし、今後の政権に対する警告にすべきである。
さらに付け加えるなら、感染症法2類以上に該当する感染者に対して、絶対に行ってはならない自宅放置政策を決めた厚生労働省の2名。
医務技監 福島靖正
健康局長 正林督章
専門的知識がありながら、患者に隔離も治療も行わず、家庭内感染の危険も無視して、自宅に放置した。
未必の故意に基づく大量殺人の罪として、上記3名同様、こいつらも死刑に処するべきである。
お前たちは単なる公務員。
国民の公僕に過ぎない。
その当然の事実を、死を以って分からせる必要がある。
お前たちは人として絶対に犯してはならない重罪を犯した犯罪者なのだと。
その罪を償う方法は、死を以って以外にはあり得ないのだと。
この1ヶ月くらい、救急車のサイレンを聞かない日は無い。
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7807 |
黒歴史 |
はくぶん |
2021-09-05 07:55:25 |
ある所で見かけた年表。
個人的には非常に興味深い。
1909年 伊藤博文
1921年 原敬
1931年 濱口雄幸
1932年 犬養毅
1936年 斎藤実
1936年 高橋是清
2021年 菅義偉
9月になって、エアコンの効きが良くなった。
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7806 |
ぶら下がり会見 |
はくぶん |
2021-09-03 02:12:08 |
首相や大臣のぶら下がり会見というものがある。
手にした餌に群がる飼育動物ように、記者たちがその周りを囲む。
出来る質問は、一人一問だけ。
二問目以降の質問は「更問い」と呼ばれ、ルール違反なのだそうだ。
それをいいことに、的外れな回答を繰り返し、ろくに答えもしない菅義偉。
記者が更問いをしようものなら、秘書官が「お控え下さい」の注意。
質問にまともに答えもしない相手に、更なる問い掛けは禁止。
ろくでもない会見である。
また、記者の質問もありふれたものが多い。
既にメディアで報道されている内容の蒸し返し、練り直し。
当たり障りの無い質問、大雑把な質問など、相手が適当に答えて終わり、と思うものばかり。
相手が怯んで睨み付けて来るような、そんな厳しい質問がなぜ出来ない、と思ってしまう。
フリーランスの記者が増えた現在、確実に記者の質は下がっているように思われる。
マスコミがマスゴミと呼ばれるのも頷ける。
馬鹿げたルールに低レベルの記者。
そんなぶら下がり会見に何の意味があるというのだ。
雨が降ると涼しくなる気候に、仄かに秋の到来を感じる。
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7805 |
政府のレベルは国民のレベル |
はくぶん |
2021-09-01 10:30:27 |
政治家の不正や悪行を非難はすれど、ある程度仕方の無いことだと、半ば容認するような態度を示す者が多い。
そういう者は、同じ立場になれば、きっと同じ事をするだろうという、後ろめたい確信を持っているのである。
アメリカにはマフィアが確実に存在している。
しかし、アメリカ政府はその存在を認めていない。
マフィアはいると政府が認めることを、国民が許さないからである。
もちろんアメリカ国民もマフィアが存在していることなど百も承知である。
しかし、政府には、それを許さないのである。
民主主義国家に於いて、政治のレベルは、国民のレベルを超えることはない、と言われる。
つまり政府がクズなのは、国民がクズだから、ということである。
日本人に根強く残る、お上意識と横並び意識。
民主主義の妨げとなる考え方である。
国家体制は民主主義・資本主義だが、国民の意識はむしろ社会主義・共産主義に近い。
政治家を先生と呼んでいるようでは、本当の民主主義は来ない。
アメリカ国民のように、政府に厳しい要求を突きつける。
そのためには、自分たちのレベルも上げなければならない。
それが民主主義国家の本来あるべき姿である。
今日から9月、2学期が始まった。
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