7494 |
間違いの継承 |
はくぶん |
2019-11-28 04:58:55 |
自分に合う人間が分からない者が多い。
心で決めればいいのだが、その基準が心に形成されていない。
安心感というか、満足感というか、そういう満ち足りた気持ちを知らない。
幼少の頃、親にどっぷり甘えて育った人間は、この気持ちを経験する。
幼少期から明確な基準を持っているから、選ぶ相手を間違えることはない。
この基準を持たない人間が、相手の言葉に惑わされる。
心地よい言葉、刺激的な言葉。
そういう上辺だけの要素に振り回される。
自分に合う人間とは、ドキドキする人間でも、ハラハラする人間でもない。
しかし、調和の感覚が心に形成されていないために、勘違いして不自然なものを受け入れる。
世の親たちに忠告である。
子供にとって最も大事なものは、自分に合うものを感じ取れる心である。
それを形成できるかどうかは、親の精神年齢に掛かっている。
しかし残念ながら、この世は精神年齢の低い親で溢れ返っている。
よって、選ぶ相手を間違える人間が後を絶たない。
つまり間違いの継承が行われ続けるということである。
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7493 |
第一印象 |
はくぶん |
2019-11-27 01:17:35 |
第一印象は大事である。
第一印象こそ真実の姿である。
時間が経つにつれ、色々な面が見えて来る。
最初は見えなかった部分が見えて来る。
印象が変わる。
第一印象が薄らいでいく。
そして、更に時間が経つと、更に色々な面が見えて来る。
しかし、それは新しい面でないことが多い。
裏返したコインを、もう一度裏返すような。
180度回転して、更に180度向き直るような。
もう一度、第一印象に戻って来る。
もう一度、新鮮な感覚が戻って来る。
そこにもう一度真実を見る。
最初に一瞬だけ見た真実を見る。
第一印象は、最初から知っていた。
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7492 |
真夜中の独り言 |
はくぶん |
2019-11-25 01:00:01 |
社長に成りたかったら、どうすれば成れるかは、社長をやっている人間に聞け。
社長以外の人間に聞いても無駄である。
もてる男に成りたかったら、どうすれば成れるかは、もてている男に聞け。
もてない男に聞いても無駄である。
三人寄り集まっても、その中に文殊が居なければ、文殊の知恵など出て来た試しはない。
その世界に足を踏み入れることである。
舞台に立ってみることである。
成功の味を知ることである。
そこには人間しか居ないと知ることである。
自分の真似は誰にも出来ないと知ることである。
勝てないと思った時に敗北が確定するのである。
逆転することを信じて疑わない人間に、逆転しないことなどあり得ない。
状況が無理矢理お前を諦めさせるのではない。
常に自ら進んで諦めるである。
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7491 |
人間を測る二つの尺度 |
はくぶん |
2019-11-20 01:07:37 |
相手の本気度を測る尺度は二つしかない。
具体的であるか。
即決であるか。
そして、これらは、その人間の値打ちを測る尺度でもある。
具体性の無い話なら総理大臣にでも成れる。
期限の無い話なら大富豪にでも成れる。
具体的で即決であるということは、本気だということである。
二流、三流の人間の話には、必ずどちらか一方、または両方が欠落している。
自分は成れないと、はじめから諦めているからである。
虚勢を張るために言っているに過ぎないからである。
そういう人間と付き合っていても時間と精神の無駄である。
具体的で即決な言い方をするならば、直ちに縁を切れ。
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7490 |
UberとUberEats |
はくぶん |
2019-11-19 00:52:15 |
噂には聞いていたUberEats。
実際にやっているのは東京だけで、大阪には未だ無いと思っていた。
しかし、一昨日、都島で配達しているお兄ちゃんを目撃した。
店はバーミヤン。
ジーパン姿のお兄ちゃんが配達バッグを背負い、店から出て来て、バイクにまたがり、発車するところを目撃した。
これから街中でどれだけ見かけるようになるのか、楽しみである。
そして、UberEatsの親玉であるタクシー会社Uber。
MKタクシーも金曜の夜などは、結構繁盛しているらしく、電話しても、なかなか待たせてくれる。
タクシーの待ち時間が命に関わる俺にとって、Uberは救世主となってくれるのだろうか。
緊急の時に備えて、一度何もない時に試乗してみようと思っている。
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7489 |
身の回りの人間たち |
はくぶん |
2019-11-18 00:29:41 |
YouTubeで自分と同レベルの、自分の視点に合った人間の動画を見ていると、身の回りの人間と会話するのが嫌になる。
こういう人間と話をしたいのだ。
自分が求めているのは、こういう人間なのだ。
だから、そういう人間を別に凄いとも思わない。
ただ、自分に相応しい人間であると思うだけ。
普段、自分の身の回りにいる人間のレベルの低さと、人間としての詰まらなさを痛感する。
本当に話したい相手など、身の回りには、殆どいないに等しい。
日本人は集団としてしか価値のない国民である。
日本人がそういう人間を望み、そういう教育を行うからである。
たとえ上辺ではどう言おうと、本音の部分では、個人として価値のある人間など、少しも望んではいない。
よって、個人としての日本人は、実に薄っぺらい詰まらない人間の集まりである。
ほんの一握りの例外を除いては。
今日はホームセンターでフライパンを買って来た。
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7488 |
親のトレンドデータ |
はくぶん |
2019-11-17 05:55:23 |
親が子供に接する時、親が自分自身を知っているかどうかは、子供の将来にとって非常に大きな意味を持つ。
子供の何に関われば、子供にとってメリットになるか。
逆に、何に関わらなければ、子供にとってメリットになるか。
それが分かっている親なら、何に関わっても子供のメリットになるだろう。
関わって子供のデメリットになる分野は、親といえども関わるべきではない。
子供の将来の可能性を潰してしまう。
子供は親を選ぶことは出来ない。
だから、親が身を引くべきところを心得ておかなければならない。
それが出来ない親は、子供に大きなハンディを背負わせることになる。
愛情のない親は沢山いる。
しかし、たとえ愛情があったとしても、思慮分別のない親は、子供にとって害になる。
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7487 |
人間の断捨離 |
はくぶん |
2019-11-16 12:48:54 |
人間の断捨離を行う時期に来ていると感じる。
しかも大量の断捨離。
サイズの合わなくなった服を捨てるように、器の合わなくなった人間を切る。
天中殺に出会ったものは、天中殺が過ぎるとお別れとなる。
あるコラムに、そんな一文が載っていた。
別に占いの話をしようとしているわけではない。
不調な時期、運勢の悪い時期は、誰にでもある。
そして、そんな時期には、物であれ人間であれ、間違った判断基準で選んでしまう。
もしくは、選びようのない状況の中で選ばなければならない状態に陥っている。
調子や運勢が戻って来た時、そうやって選んだものに違和感を覚えるのは当然であろう。
違和感はそのうち不快感に変わり、いずれ苦痛となる。
そして、最後はお別れとなる。
天中殺も当然の事を言っていると感じる。
この断捨離は、数年間の断捨離ではなく、20〜30年間の断捨離であるような気がする。
実際に切る人間は数人かもしれない。
しかし、気持ちの上では、過去の人間を殆ど全て切るような感じである。
人を見る目が変わる。
選ぶ基準が変わる。
付き合う人種が変わる。
そんな断捨離になるだろうと思う。
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7486 |
ポリシーという奇麗事 |
はくぶん |
2019-11-14 00:24:51 |
ポリシーだ何だと言っても、結局は現状が許す間の戯言に過ぎない。
切羽詰って来ると、背に腹は変えられなくなる。
そんな時でも、まだポリシーを貫けるなら、それは立派だ。
しかし、そんな奴には、お目にかかったことがない。
今日また一人、背に腹は変えられず、ポリシーを覆した人間を見た。
あれだけ偉そうに豪語していたのに、あっさり捨ててしまっていた。
だから人の語るポリシーなど、風の音に等しい。
それは平和な時に、外交の重要性を説くのと同じだ。
奇麗事など信じる方が悪い。
人間を知らぬ良い証拠である。
俺はそう思っている。
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7485 |
深夜1時の二つの事 |
はくぶん |
2019-11-11 00:57:19 |
日本人の会話は面白くないと感じることが多い。
自分の話やニュースの話など、目の前に居る人には関係の無い話ばかりするからだ。
話す相手など誰でもいいと思っているのである。
相手と会話をしようとなどとは思っていない。
自分の話を聞いてくれれば、それでいいのである。
日本人の会話は、相手を前にして、独り言を言っているようなものだ。
独り言でも、気持ちや感想、意見や考えを述べているのなら、まだ聞いていられる。
ただ淡々と事実を並べていくだけの話ほど詰まらないものはない。
そして、話を聞いてくれる新しい相手が見つかると、前の相手の所には来なくなる。
無いことを証明するのは不可能である。
同じように、一番であるということを証明するのも不可能である。
どちらにも共通することは、通り過ぎた瞬間に未確認の状態に戻るということである。
通り過ぎる直前までを確認することしか出来ない。
終わらせた次の瞬間からまた始まってしまう。
世界に終わりが無いのではなく、終わりの状態を作れないのである。
無いことも、一番であるということも、終わりの状態を作り出して、初めて結論を出せる事柄なのである。
そんな事を考えながら、ホットコーヒーとアイス最中。
ホットコーヒーを飲みながら、アイス最中をかじる。
ホットコーヒーの中で、アイス最中が溶ける。
熱いと冷たいが混ざる。
しかし、それは温いにはならない。
あくまで熱いと冷たいなのである。
止められない美味さがある。
明日は久し振りに雨が降るようだ。
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