2084 |
中之島ブルース |
はくぶん |
2009-10-13 05:30:51 |
昨日は元虎の穴社員の赤ちゃんを見に行ってきた。
生後3ヶ月目の男の子、可愛かったねえ。
だっこしても暴れたり嫌がったりしない。
だっこしていて気持ちのいい赤ちゃんだった。
男の子は本当に可愛い。
いつも思うが、女の子より男の子の方が断然可愛い。
その心情は昔からずっと変わらない。
回りの者達は女の子の方が可愛いと言うが、
男の子の方が可愛いと思うのは自分だけだろうか。
ウチの子もほとんど泣かなかったが、その子もほとんど泣かない。
だいたい夜泣きの激しい子や疳の虫が強い子というのは、
両親のどちらかが、そういう気質を持っているのではないかと思う。
ただ、お母さんがいなくなって、車の中で大泣きされた時は困ったが。
もうそろそろ首が座って来ている。
冬に向かってこれから寝返りも打ち始めるだろうから、
ちょっと注意が必要かな。
というわけで、昨日は寝不足が続いていたのか、
帰って来て晩飯を食ったら、そのまま爆睡。
サーヤン、昨日はお疲れ。
今日は8時40分、忘れないように。
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2083 |
クエリ処理 |
はくぶん |
2009-10-13 04:44:47 |
MySQLにはstatusというコマンドがあり、その時点での運用状況の概要が示される。
その中に“Queries per second avg”という項目がある。
ネットで調べると“クエリ処理に要した時間の平均”となっているが、
どう考えてもこれは“1秒あたりに処理したクエリ数の平均”ではないだろうか。
しかし、そう書いてあるサイトは見つからない。
この前、カウント関数をcount(*)からcount(id)に変えてから、
“Queries per second avg”の値が前より大きくなっている。
今までは0.7台や0.8台だったのが、昨日は1.23、今は0.97である。
以前より処理が安定して速くなったことはすでに書いたが、
そうすると、この値はクエリ処理に要した時間ではないということになる。
per secondなんだから、当然“1秒あたりに(の)”である。
それにしても、昨日と今日でこんなに差があるのは何故なんだろうか。
今日はクエリの処理が特別遅かったということなんだろうが。
しかし、カウント関数の変更以来、5秒以上かかるスロークエリは1のままである。
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2082 |
昼夜逆転 |
はくぶん |
2009-10-12 04:13:42 |
ちょっと休日が続くと、すぐ昼夜逆転の生活になる。
一昨日は結構寝たが、昨日はあまり寝ていないので、
もう眠くなってもいいはずなのだが、なぜかあまり眠くない。
明日は11時頃に起きなきゃいけないからな。
そろそろ寝るとするか。
この昼夜逆転生活でいつも思うことは、
日本から-6時間くらい時差のある国へ行くと、
ちょうど良いリズムで生活できるんじゃないかということ。
時差が-6時間というと地中海の東。
中東諸国じゃないか。
そんな所じゃ生活のリズムなんて悠長なことは言ってられないな。
もちろん外国に行ったら行ったで、
今度はそこで昼夜逆転してしまうのがオチかもしれないが。
-6時間の昼夜逆転を西へ西へ繰り返していくと、
いつか日本がちょうど良くなる時が来るってことだな。
それって、チェバの定理か?
ドーナツの体積はパップス=ギュルダンの定理で。
突然サヴァン症候群。
寝る。
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2081 |
サムエル・ウールマン |
はくぶん |
2009-10-12 03:44:28 |
林檎マシンの中のファイルを整理していたら、
昔、生命保険のおばちゃんが好きだと言っていた詩が出てきた。
サムエル・ウールマンというアメリカの詩人が書いた“青春”という詩である。
『青春とは人生のある時期をいうのではなく
心の様相をいうのだ
年を重ねただけでは老いない
理想を失うとき初めて老いがくる
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失うとき心はしぼむ
人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる
希望のある限り若く、失望と共に老い朽ちる
燃える情熱のある限り人は青春の真っ只中にある』
確かそのおばちゃんからもらったパンフレットか何かに、
この詩が印刷してあったように思う。
これを初めて読んだ時、なかなか良い詩だと思って、
自分で打ち込んでファイルとして残していたのである。
実はこの詩はもっと長い。
上記はオリジナルをかなり省略していたようである。
全文は以下の通りである。
『青春とは人生の或る期間を言うのではなく、
心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、燃ゆる情熱、
怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、
こういう様相を青春というのだ。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うときに初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが、
情熱を失うときに精神はしぼむ。
苦悶や、孤疑や、不安、恐怖、失望、
こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、
精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと十六であろうと、
その胸中に抱き得るものは何か。
曰く 驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、
その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、
事に処する剛毅な挑戦、
小児の如く求めて止まぬ探究心、
人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、
そして偉力の霊感を受ける限り、
人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、
悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば、
この時にこそ人は全くに老いて、
神の憐れみを乞うる他はなくなる。』
この詩は結構有名らしいのだが、
作者であるサムエル・ウールマンをネットで調べても、
なぜかほとんどヒットしない。
おばちゃんからもらった印刷物にはサミュエル・ウールマンとなっていたので、
その名で調べてもみたが、結果は同じである。
この詩を何歳の時に書いたのか。
他にどんな詩を書いているのか。
その二つが知りたいのである。
昔、この詩を読んだ時は、確かに良い詩だと思った。
しかし、今日読んでみて、この詩に対する印象が変わった。
あまりにも年齢と青春をしつこく強調し過ぎているように感じられるからだ。
確かに青春とは年齢だけで決まるものではないだろう。
心が若ければ、年齢に関係なく青春のど真ん中にいると言えなくもない。
そして、そんな活き活きした老人も世の中には多い。
しかし、この詩全体に漂っている雰囲気は、
そんなポジティブで晴れやかなものでない。
老いることへの恐怖、若さや青春に対する異常なまでの憧憬と執着。
まるで怨念とでも言うべき負の感情が行間に満ちていて、
作者の本心を曝け出しているように感じられる。
持たざる者は、持たざる事の正当性を強調するが故に、
持たざる物への執着を自ら露呈するが、
一方で、持たざる物の代価を追求するあまり、
持たざる事の正統性を見失う。
サムエル・ウールマンは、老いることが余程恐かったのだろう。
彼の価値観の中では、若さが重要な地位を占めていたのだろうと思う。
彼にとって老いることは無価値であり、若さこそが絶対的価値。
現実に若さを取り戻すことはできない。
しかし、それは違う形で取り戻せるのだと自分自身を納得させようとした。
つまりそれが、この“青春”という詩なのだろう。
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2080 |
子供達 |
はくぶん |
2009-10-11 23:08:15 |
このマンションに住んでいる子供達はとても親切である。
裏口の扉は内側から開ける時には鍵など要らないのだが、
朝、たまたま子供達と一緒に階段を下りて行くことがあると、
先に行った子供達は扉が閉まらないように手で押さえたまま、
自分が来るまで待っていてくれたりする。
子供達と玄関を一緒に入って、自分だけポストを調べて部屋に行こうとすると、
先に行った子供達がエレベータの扉を開けてずっと待っていてくれたりもする。
30秒くらい待っていたんじゃないだろうかと思う時もある。
自分の部屋は2階なので、いつもエレベータは使わず階段を上る。
待っていてくれた子供達には本当に申し訳なく思う。
小学生も中学生も、そんな感じの子供達である。
女の子よりもむしろ男の子の方がより親切な感じがする。
そして、あまり喋らない男の子が最も親切だったりする。
ひょっとしたら、大阪では当たり前のことなのかもしれないし、
ひょっとしたら、この地域だけの習慣なのかもしれない。
和歌山や東京では、ほとんど経験したことがない。
勉強よりもっと大事なものがある。
彼らを見ていると、確かにあるだろうと思う。
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2079 |
ユニクロ |
はくぶん |
2009-10-11 22:42:05 |
イオンの中に洋服店は他にもあるし、ジャスコにも服は売っているのだが、
いざ買うとなると、どうしてもユニクロに行ってしまう。
普段の日曜日に比べると今日は結構混んでたな。
服2着と靴下6足を買って来た。
最近、派手な色のチェックやストライプを着るのが恥ずかしくなってきたので、
今回買った服は両方とも無地の一色。
ボタンの見えないデザインの赤紫と、オーソドックスな白。
ボタンが見えない服と言うとインドネシアを連想させる。
お土産にもらった茶色の服は色落ちが激しかった。
洗濯する前から汗で色落ちしてたらしく、
アンダーシャツに色移りして、今でも若干黄ばんでいる。
まったく、どうしてくれるんだよ。
まあ、ユニクロは色落ちしないので安心だが。
靴下はいつも赤と決まっているのだが、
たまには赤以外の色もいいかなと思い、
今回は赤2足とグレーや紺やらが4足の計6足。
今日買った服と靴下の組み合わせだと、
白い服、黒のズボン、赤の靴下か、
赤紫の服、白のズボン、グレーの靴下ってとこかな。
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2078 |
弦とピックの話 |
はくぶん |
2009-10-11 18:12:24 |
わかる人にはわかるが、わからない人には全くわからない弦とピックの話。
ギターの弦は昔から、アーニーボールかダダリオを使っている。
一時期、フェンダーのロックンロールを使っていた時期もあるが、
品質の当たり外れが激しく、あまりによく切れるので、
短期間で使うのを止めてしまった。
アーニーならハイブリッドスリンキー、ダダリオならXLである。
どちらも同じかというと、そうではない。
アーニーは硬いが、ダダリオは柔らかい。
ちなみに、フェンダーのロックンロールはダダリオよりさらに柔らかい。
昔はどちらかというと柔らかいダダリオの方が好きだった。
チョークアップのしやすさや、ピックに対するソフトな感触が良かった。
当時、使っていたピックはフェンダーのレインドロップ型エクストラヘビー。
ピッキングは浅く、アタックは弱く、いわゆる軽いタッチで弦に当てていた。
しかし、そのタッチだと音に表情がない。
そういう不満を持ち始めて、ピッキングを変えた。
深く強いアタックのいわゆるヘビータッチ。
その頃からピックもエクストラヘビーよりやや薄いヘビータイプを使い始めた。
エクストラヘビーは厚すぎて音に芯が出ないからである。
その日の感触でたまにミディアムを使うこともある。
そういう薄目のピックを使い始めるとダダリオのアタック音は細い。
弦も妙にしなる感じがして、ピッキングに対して違和感がある。
エクストラヘビーを使っていた頃には感じなかった感触である。
そこで弦もアーニーに変更。
アーニーと言うと、有名なセットはスーパースリンキー。
多くのミュージシャンが好んで使っている。
009から042までの標準セットである。
しかし、それだとダダリオと変わらない。
というわけで、より太いアタック音を得るために、
4弦から6弦までがより太いハイブリッドスリンキーを選択。
いわゆるヘビーボトムタイプというやつである。
しかし、ハイブリッドスリンキーはスーパースリンキー程ニーズがないのか、
買いに行っても置いていない店や、品切れ状態のまま放置してある店もある。
そういう時は仕方なくダダリオを買う羽目になる。
というわけで、今はアーニーとダダリオを、
そういうネガティブな理由で使い分けている。
ハイブリッドスリンキーを使い始めてもう10年以上経つかな。いや、もっとかな。
ということは、ヘビーピックもそれくらい使っているということ。
今はギターを弾く時間も短くなったが、それでも弦とピックにだけはこだわる。
ギターを弾く感覚として、最終的にこだわるのはその二つだが、
今はもっといい弦が色々なメーカーから発売されているのかもしれないとも思うし、
ピックももっとこだわって探せば、もっと感覚に合うものがあるのだろうとも思う。
しかし、そう思う反面、
もしかすると、自分にとってのベストマッチは見つからないのかもしれないとも思う。
本当に巧いやつは、弦やピックなど何でもいいのだ、と。
そんな思いがずっと頭の片隅にある。
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2077 |
晴れの日曜日 |
はくぶん |
2009-10-11 12:17:43 |
今日は晴れているようで、雲が広がっていて、
あまりすっきりした晴れとは言い難い。
曇りではないので、降水確率は確かに0%なんだろうが。
昨夜、ここに書こうと思っていて忘れてしまった内容がある。
これから髪を切ってもらいながら、ゆっくり思い出して来るとするか。
ただ、眠ってしまわないように気をつけなければ。
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2076 |
大人物 |
はくぶん |
2009-10-11 06:18:18 |
辞書には“度量の大きな人物、偉大な人物”とある。
しかし、世間では経済的あるいは社会的成功が前提となっているように思われる。
ならば、経済的にも社会的にも成功していない人間に、大人物は存在しないのだろうか。
大人物なら、経済的あるいは社会的に成功しないわけがない、
という逆説は正しいようにも思われる。
しかし、経済的あるいは社会的に成功するか否かは、
人間性よりもむしろ才能や技術に負うところが大きいのではないかという気がする。
商才のある人間はゴミをも金に変えてしまうし、
技術のある人間なら社会はその技術を認める。
つまり、そこに人間性はほとんど不要なのである。
成功するためには、当然人脈も必要だろう。
才能や技術とは違い、人脈には人間性が深く関わって来るが、
利害関係が存在する場合、必ずしも人間性だけで成り立つものでもない。
利害が大きければ大きい程、人間性という要素は希薄になっていく。
大人物の定義が、経済的あるいは社会的に成功した器の大きな人間、ということなら、
経済的にも社会的にも成功していない大人物は存在しない。
しかし、辞書に於いても定義は曖昧である。
度量の大きさとか偉大さは、むしろそういった成功とは無関係な要素にも思える。
しかし、世の中は、経済的あるいは社会的成功が必須条件であるかのような見方をする。
だとすると、とてつもなく大きな器を持った人間であっても、
経済的あるいは社会的成功が伴わない限り、大人物とは見なされないのだろうか。
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2075 |
暦データ |
はくぶん |
2009-10-11 03:49:24 |
右側のタイムスタンプのソースとして使用している暦データ。
昨日の時点での取得済みデータは2009年1月1日から10月31日までの10ヶ月分。
しかし、これから毎月下旬になると翌月のデータが追加されていくので、
将来的には特に何も問題はない。
しかし、2008年以前を調べたい時は、そのデータがないので困る。
そこで、データのソース元である暦のサイトをチェックしてみると、
そこの暦データはどうやら1900年1月1日から入手可能であることが判明した。
というわけで、この数時間、そのデータ収集に追われていた。
1900年1月1日から2009年10月31日までの約109年分、
延べ40,116日分のデータをウェブから一気に自動取得することになる。
途中で送受信エラー等により、取得ミスが発生する可能性もあるので、
取得したデータはすべて検証しなければならない。
もちろん、一つ一つ手作業で確認するなど到底不可能な数である。
というわけで、自動取得スクリプトと自動検証スクリプトを作成。
実際にそれらを走らせてみる。
結果、やはり何らかのエラーにより、丸々1ヶ月分のデータが取得できていなかった。
後でその部分を手作業で補完し、無事40,116日分のデータを取得完了。
なかなか手応えのある作業だった。
ちなみに、日付け処理の場合、厄介なのが閏年だが、
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4で割り切れる年は閏年
ただし、100で割り切れる年は平年
ただし、400で割り切れる年は閏年
----------------------------------
と定義されている。
これをC言語の数式で表すと、
year % 4 == 0 && (year % 100 != 0 || year % 400 == 0)
とするのが正しい判定法であるとウィキペディアには書いてある。
Perlなら、
$year % 4 == 0 && ($year % 100 != 0 || $year % 400 == 0)
となる。
しかし、400で割り切れる数字は、必ず4でも割り切れるので、
($year % 4 == 0 && $year % 100 != 0) || $year % 400 == 0
とする方が、よりスマートではないだろうか。
まあ、どちらの数式を使っても、実際の処理時間に、ほとんど差はないだろうが。
というわけで、40,116日分のデータが完備されたので、
この掲示板の表示所要時間は若干遅くなったかもしれない。
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